林時計の歴史

歴史・ストーリー店主経歴手渡し・行商機械式時計

1890年、林作太郎が創業。
以来、林量蔵、良一、そして今、四代目店主 林俊一に至っています。

初代、作太郎は歌も読み俳号は一華。
かなりの風流人だったようです。
樋口一葉さんとも交流があり、私信が残っていたりします。正岡子規さんとも…だったらしいのですが、残念ながら、遺品は残っていません。
津の町は戦災で大部分が焼失。林時計鋪はもちろんのこと、多くの文化財も失いました。

店内には新橋と横浜に汽車が走った時に仕入れてきて、そのまま残されているホールクロックが現在も現役です。
エピソードを聞くと、当たり前のように時を刻んでいること自体に不思議さを感じます。

伊勢国(三重県)は良い港がたくさんありました。当時、博多・堺よりも江戸に近い利点もあり、約370年前から伊勢商人達が木綿等を運び江戸の経済界のリーダーとして活躍していました。
徳川家康の側室、於奈津の方の力も大きかったようです。彼女は津の出身でした。
越後屋、そう今の三越も代表的な伊勢商人です。
東京の上野・赤坂・青山・半蔵門あたりを含めてたくさんの伊勢人が町を作ったようです。

林時計鋪は、創業当時から今も変わらず現在の場所で商いを続けています。

1947年生まれ。大学には興味がなく、愛知県にて修理の経験を積みました。
途中、1968年に55日間船で東南アジア・インドへ。
帰ってきて又修理技術の勉強。お金が少したまれば、今度はヨーロッパ・アメリカ。例えばヨーロッパ往復のエアーのみで30万円もしてて大変でしたが、やはりスイスへは行かなきゃでした。ちなみに給料は一万円ソコソコでした。
スイスでは、日本の時計輸入代理店のウソをたくさん発見出来てとてもよい参考になりました。
その辺りから、ヘソ曲がり?とも言われているようです。
しかし、ヘソ曲がりじゃない連中はダマされてると今でも思っています。
1987年?頃に、信用出来ない時計は売るのをやめよう、と日本のクォーツの時計をやめました。
大切な、例えば結婚記念に買われた時計の部品が、7年間しかメーカーの保管義務がないことを幸いにメーカーはその修理を不能にしてしまったことが何度もあったことからです。自分の信用を無くすことにもなりかねないからです。
周りから言わせれば、思い切った決断だったようです。

モノも仕事もそして人生も、長いスパンで考えて決断し、重い荷物を背負って歩くこと。これが男の仕事です。

と勝手に思っていますが・・・。ボツボツ最後の直線です。入着でいいかナ。

そう語る店主。 ご自身の今後は入着として…。 (笑)
店主に入着されても困る林時計鋪のお客様のことを想いながら、しっかりと自分の志を継ぐ後継者も育てております。
「重い荷物を背負って歩くこと。これが男の仕事です。」と言い切る店主ならではのケジメですね。

ちなみに写真は、店主が20代前半の頃のもの。
うん十年の歴史が、今の店主の顔に刻まれております。
是非、ご来店いただき、店主の“過去”と“現在”のギャップをお楽しみください。(笑)

「日本中どこへでも 出前・行商致します」記されているのは名刺の裏。機械式時計は買う時だけではなく、買って戴いてからがお付き合いの始まりです。
安さを売りにした、売ってハイサヨウナラという販売方法もあるようですが、本来売る・買うとは物とお金の交換だけではナイと想います。
そして、そんなふうに考えてしまうことにサミシサを感じる。 その時計をドンナヒトが手にして戴けるのか、顔を見て、話をして。
その笑顔はお金とは別次元のモノです。ですから、時間の許す限りお客様とお逢いして、手渡ししたいと考えています。

と、語る店主。
いまどき、嘘のような本当の話です。
手渡し、行商は、数十年来変わらない林時計鋪のスタイルなのです。

信念を貫くのも大変な時代。さすが、“人の縁”を大切にする林時計鋪の方々ですね。
名刺の裏を確認された遠方の方も是非、「こんな時計を見繕って、持ってきて欲しい。」と、おっしゃってみてください。本当にお宝を抱えて現れますから。(笑)

自信がナイ時計は扱えません。

自分達が自信のナイ時計をお客様にお薦めできるワケがない。だから流行品は扱わないのですが、もっと自信がナイのはクォーツです。

機械が無くなったら、特には規格で7年間しか部品を保有しない物なんかは信用を失くしてしまいます。 高度経済成長期に出来たクォーツですが、今あらためて機械式時計の時代に戻りました。これは当店の信念でした、必ずホンモノが見直させると。

万が一、使い捨てのモノだけになってしまっては文化が形成されていかないのデハ、とも想うのです。

「親から子へ、子から孫へ。」というフレーズがありますが、機械式時計だからこそ、の話です。
・・・時計とは、単に時間を見る為だけの道具ではアリマセンカラ。

そう語る店主。
「なぜ、林時計鋪は機械式時計なのか?」の答えが、ここにありました。

単に時間を見る為だけの道具ではない。

これが、林の答えなのです。
そんな林時計鋪の想いは、色々なところで垣間見ることができます。以下に記すのは、店主が以前林時計鋪通信で書いた内容です。

今、ウチの長女が付けている時計は、彼女の祖々母が使っていたモノ。彼女が4~5歳の折、ボクにとっての祖母と仏壇の前に並んで座り”まんまんちゃん、あーん”と意味不明な言葉を発して拝んでいたのを思い出す。
ばあちゃんの通夜で、一晩中ロウソクの番をしていた長女。あれから三十年。時計に刻まれたキズは、持ち主たちの思い出でもある。それを消してはイケナイ。
思い出と共に時計は歩く。前の持ち主を思いつつ、自分もキズを付けながら歩く。思い出を加えながら、魂を埋め込みながら、歯車の動きを感じながら歩く。それができるのは機械式時計しかない。それしか百年は使えない。ロボットではなく、人間が魂を込めて作ったものでなければ。

以上です。
話の中に出てきた時計には、店主の祖母から始まった家族の歴史が詰まっています。そして娘さんがこれから作るであろう思い出も。
家族で過ごした店主の思い出も一緒にその時計に詰まっているからこそ、重い真実の言葉として皆様にもお伝えできるのでしょうね。

皆様は、あなたと、あなたの大切な人達の歴史を刻む特別な時計を、お持ちですか?
もし、まだお持ちでない方!代々受け継ぐことのできる機械式時計で、あなたの歴史から始めてはいかがでしょうか?

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手渡し・行商 承ります。

「日本中どこへでも 出前・行商致します」記されているのは名刺の裏。機械式時計は買う時だけではなく、買って戴いてからがお付き合いの始まりです。 安さを売りにした、売ってハイサヨウナラという販売方法もあるようですが、本来売る・買うとは物とお金の交換だけではナイと想います。 そして、そんなふうに考えてしまうことにサミシサを感じる。 その時計をドンナヒトが手にして戴けるのか、顔を見て、話をして。 その笑顔はお金とは別次元のモノです。ですから、時間の許す限りお客様とお逢いして、手渡ししたいと考えています。

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